生焼けの肉(特盛)

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「夜行」第1章 尾道(ネタバレあり)

 私はあらゆるモノのにわかなので森見登美彦作品は陽の作品(夜は短し歩けよ乙女有頂天家族など)しか見てこなかった。そんな自分にとって、陰の作品とも言える「夜行」は新鮮なものだった。

 自分の脳内整理のための感想と考察なので、は?ってなる点も多くあるかもしれないが、大目に見て頂きたい。

 

  「夜行」は岸田道生の夜行という絵画を共通点にして、登場人物が不可思議なことに巻き込まれ、それが10年前の失踪事件に繋がっていくという物語である。

 第1章の「 尾道」は中井の妻を巡る話である。

 考察のヒントとして公式サイトにある10の疑問(https://www.shogakukan.co.jp/pr/morimi/10Q.html)を参考にしたい。

尾道での疑問は、

①ホテルマンの妻が2階に篭もるようになったのはなぜか。

②中井の妻が「変身」したのはなぜか。

の2つ。

 ①は、本文中の描写から「ホテルマンが妻を殺し、遺体を2階に隠しているから。」と考えられる。

 家から漂う厭な臭い。なにかに怯えるような挙動不審のホテルマン。そして、中井の「奥さんはもう死んでる。君が殺した。」の台詞。これらが根拠として挙げられる。

 問題は②だが、ここがイマイチ掴めていない。

 突拍子もないのだが、「自分の生き写しであるホテルマンの妻を見た(取り憑かれた?)から。」ではないかと思う。

 取り憑かれたとした書いた理由は3つ。

 1つ目は、中井の妻が尾道に行く原因となった2人の不和が始まったタイミング。本文中で初めて描写されるのは、九州からの帰りに夜行列車から踏切横にいる妻そっくりな女を見たところから。そこから妻が別人ではないような感じがするような行動を起こすようになる。後述するが、この踏切脇の女が殺されたホテルマンの妻と考えられ、それを見た事が異変のきっかけとなっている。

 2つ目は、先に挙げた中井のセリフの後、「『それなら、あの夜行列車に飛び込んだのは誰なんです。』『…分かっているくせに』(中略)(ホテルマンは)みるみる青ざめていく。そのまま気を失うのではないかと思ったほどだ。」の部分。

 あの夜行列車とは、中井とその妻が踏切横で妻に似た女を見た時の夜行列車であろう。

 ホテルマンは自分の妻が飛び込んだと思っていたが、実際には殺された後に現れたホテルマンの妻の霊的なものであり、それが踏切に飛び込んだ時に中井の妻に取り憑き、人格を変えたのではないか。

 3つ目は尾道のラストである。中井は妻が自宅である水道橋ではなく、尾道の「あの家」へと帰ろうと言っているように感じ、「どうして僕は妻を連れ戻せるなんて思い込んでいたのだろう」と思う。これは、ホテルマンの妻が未だに中井の妻に乗り移っていることを示しているのではないか。

 「夜行は夜行列車の夜行でもあり、百鬼夜行の夜行でもある。」という作品中の発言があるおかげで、霊的なものが関係しているという突拍子もない考えを受け入れてくれる気もする。

 さて、ここまで「夜行」関係ないじゃんと思うかもしれない。他の章を読むと、「夜行」を見ることで自分の理想が映し出されることが書かれている(超意訳)。

 尾道では「夜行」を中井が見る前に妻の変化が始まっており、「夜行」を見て理想を映し出していたのはホテルマンの方でないかと思われる。

 絵画の映した理想は、上述の霊を生み出し、中井の妻に影響を与え、ホテルマンの妻へと変えさせたのではないか。

 妻を取り戻したものの、自分の妻が変わってしまったことを受け入れた中井の話は果たしてハッピーエンドと言えるのだろうか。

 

 いや、そもそもこの作品にハッピーエンドな章はないような気がする…。

 拙い文章ですが、お付き合い頂きありがとうございました。気が向いたら続くかもしれません。

 また、ここはこうじゃないか?という意見があったら頂けると幸いです。