生焼けの肉(特盛)

140字で収まらないくだらない日常の思考をダラダラ語るブログです。

"幻"のポケモンの話

 小学校の頃に何をしていたか、何を考えていたか。そのほとんどを思い出すことは正直難しい。しかし、どういう訳か印象に残っている出来事というものが誰しもいくつかあるだろう。私の中のそんな記憶の1つが"幻"のポケモンの話である。

 

 家族にゲームをする人がいなかったため、小学校に上がるまでゲーム機の類に触れたことがなかったが、周りはそんな話をするような年頃である。

当時から根っこのところは今と変わらないようで、必死にネットでポケモンの最新情報をかき集め、記憶は定かではないが、「ポケモンやりたい!新作が出るんだよ!みんなやるみたいだよ!」とかねだったのだろう、どうにかダイヤモンドを発売日に買ってもらう事に成功した。 今でこそストーリーを進めて燃え尽きるほど、ポケモンに向かない身体になってしまった僕だが、小学生の頃、それはもうドハマリした。

  キッサキジムのギミックに泣き、過去作を持っていないと手に入らないレジギガスにマジギレし(後にエメラルドを買う)、意味もなく野生のポケモンハイドロカノンをぶっぱし、ろくに厳選も知らないのに性格一致(個体値は見てない)ガブリアスを育て、勝てもしないのにバトルタワーのWiFi部屋に潜っては乱数と思われる色個体にボコボコにされる日々。よくもまあ飽きなかったものである。

 

 DPのころの"幻"のポケモンと言えば、TL上で社会の不満と戦う「ダークライ」、セットアップで6ドローする「シェイミ」、LV1の三神を生み出す「アルセウス」の3体の印象が強いが、一応「マナフィ」も本編上の初出はDPである(全編通しての初出はポケモンレンジャー)。

 マナフィの映画の公開はDPが出る年の夏だった。周りに影響されてポケモンの情報を探している小学生がマナフィを見て抱く印象が悪いわけが無い。当時の私の中では特別なポケモンの一体だった。

 え、今の印象?うーん…蛍火からカイオーガにバトンすればいいんじゃないすか?

 

DPが出て数ヶ月ぐらいしたころ、友人が言った。

「3万円ぐらいするぜんこくずかんにしか載っていない、マナフィの弟分のミニフィってポケモンがいるらしいぜ。東京の親戚から聞いた。」

 人を疑うことを知らず、「特別」に弱いキッズは

「なんと、ポケモンだいすきクラブの情報やポケ徹のデータにも載っていないポケモンがいるのか。さすが東京、情報が早い。」などと思った。

 そこにないならないですね案件なのにな。

 家に帰ってから調べてみるも、やはり情報は出てこず、livedoor掲示板でも出てこない。2ちゃんは怖くて覗けない。仕方がなくその友人から情報をかき集めた。

 彼いわく、「ミニフィはほのおタイプ。ある条件(忘れた)を満たすとハードマウンテンからか行けるようになる洞窟で道を間違えずに進めると捕まえられる。道を間違えたらデータが消える。」とのこと。

 今考えると公式でデータが消えるような設定をするはずないだろと思うが、「なぞのばしょ」バグがあった時代である。高難易度を求める背伸びしたがりの子どもだと、ウルトラホールとなぞのばしょを合わせた難易度ぐらいならあるのかもしれないと思ってしまったのだろう。それからその条件を満たすべく悪戦苦闘する日々が続いた。リーグを周回して手持ちを頑張って全員LV100にしたり、ハードマウンテンをウロウロしたり色々なことをしたと思う。

 

 それから少しして、公式からぜんこくずかんが発売された。定価で1500円ぐらい。そこに「ミニフィ」の記述はなかった。3万円ぐらいするぜんこくずかんなんてそもそも存在していなかった。こうして、"幻"を追い求めた小学生の戦いは終わり、私は少しは人を疑おうとすることを覚えた。

 

 当時はなぜあんなことを言ったのか問い詰めてやりたいと思っていたが、大学の教養で心理学を学んだ時に「子どもは人に認められるため、注意を引きつけるために嘘をつくことがよくある」という記述を見かけた。割とクラスの中心側にいるタイプだと思っていたが、彼なりに思うところがあって、みんなが興味を引きそうなことを言ったのだろう。人の人格に影響は与えているが、社会に影響を与えてないので可愛いものだと思えるようになった。

 

 翻って今の自分はどうだろう。上手く立ち回ろうとするあまり、どうでもいいところで見栄を張ったり、めんどくさいからと誤魔化したりすることがそれなりにある気がする。無駄に見栄を張ろうとしてしまうのは結局誰のためにもならないし、むしろ悪影響なのは今までの経験から分かっているのにやってしまうのはこの歳になると可愛いでは済まされない問題点である。

 「人の振り見て我が振り直せ。」こういう自分の性格を自覚している以上、 自分の撒いた火種で詰むことがないように、「ミニフィ」に裏切られたときの記憶を忘れず、自戒していける自分でありたいものである。